盈進小学校の学校教育目標 |
主体性・創造性に富み,心身ともに健康で, 人間性豊かなたくましい児童の育成を図る |
☆ 盈進小学校の始まり ☆ | |
江戸時代の終わり頃の安政5年(1858年),今から155年前に,宮之城島津家の15代の殿様島津久治が,今の盈進小学校の場所に文武館を建てました。 文館(勉強をする所)を盈進館(えいしんかん)と名付け,武館(体を鍛える所)を厳翼館(げんよくかん)と名付けました。その盈進館が今の盈進小学校となっており,県下で最も古い学校です 校庭の「せんだんの木」と「くすの木」は,盈進館が建てられてころからのものです。 |
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☆ 校章の由来 ☆ | |
盈進の「盈」の字を囲む葉は,桑の葉です。下の三つは,蚕の繭を表しています。宮之城は,40年ほど前までは養蚕の盛んな所でした。だから校章にも桑や蚕が使われたのでしょう。盈進小の古い校歌に「果てしも知らぬ桑畑に蚕の富や限りなし」と歌われていることからも分かります。 | |
☆ 盈進小学校の名前の由来 ☆ | |
中国の「孟子」の書いた本の 源泉混混不舎晝夜 盈科而後進放乎四海 の中からとったものです。読み方は, 源泉(げんせん)は 混混(こんこん)として 昼夜(ちゅうや)を舎(お)かず 料(あな)に盈(み)ちて 而(しか)る後(のち)に進(すす)み 四海(しかい)に放(いた)る やさしく言い直すと, 「水はその源からこんこんと湧き出て,昼も夜も休む時がない。その流れは,窪みがあればまずその穴を盈したのち,初めて溢れ出して四海に進む。」 その意味は,「水が穴を満たしてから初めて進むように,学問の道もよく順序を踏まえて進むことが大事である。」という意味です。 |